人気ブログランキング | 話題のタグを見る

二重保育で3人の子育てを乗り切る母のつぶやき日記。Twitter:fuukagetsu


by kazehanatuki
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

恩師の急逝。

12月2日、そう、雨の降る夜、悲しいメールを、大学陸上部の先輩から
もらいました。

立命館大学女子陸上競技部の監督が、お亡くなりに
なったとの知らせ。夕方倒れてそのまま、病院に搬送
されましたが、帰らぬ人となってしまいました。

実は、監督は、私の時代の監督でもあり、大学女子駅伝が
現在のように、広告塔としても、非常に効果的と、大学が
全日本大学女子駅伝の出場をかけて、取り組み始めた頃
立命館大学陸上競技部から、男子と女子を分けることに着手
したのです。

ちょうど、たま母が、大学3年生の頃であり、まさに、主導権を
握らねばならない頃。長距離の部員もぎりぎりで、さらに
男子部には、マネージャー(主務)という仕事があり、合宿先の
確保など、動けていたのに、女子部は、すべてゼロから。



大学からも、今のような立派な支援もなく、すべて手探りで
立ち上げ、大学から、決められた陸上外が専門のコーチと
悩み、ぶつかり、監督は、そんな私たちをいつもなだめ、励まして
くれたのでした。

たま母は、特に学年では1人だけ、1人暮らしであり、
奥様のさっさと作ってくれる、暖かいスープは、今でも、真似
しているレシピです。

さらに、素人で、いきなり、長距離を始めた、たま母は、厳しい
練習の中、26Kmの途中で、倒れ、救急車で運ばれたり
一時期、身体を壊して走れなくなったりしたこともありました。

それでも、応援してくれ、励ましてくれた監督。
たま母は、その後、走れるように復活し、女子駅伝こそ、出れません
でしたが、大阪国際女子マラソンの出場資格を取るために出場した
兵庫レディースマラソンで、なんとか、制限記録を破り、出場権を
獲得しました。

大阪国際女子マラソンに出れたことは、最高の思い出でもあり
育てていただいた監督へのメッセージでもありました。
そんな監督の急逝。

11月の全日本大学女子駅伝で、立命館は、3年ぶりに、王者を
奪還しました。そのご苦労や、はかりしれないものがあったと
思います。優勝インタビューの後、テレビで、監督がにこやかに
話されるのを見て、ほっとしたのを覚えています。

そして、11月23日に創部20周年記念行事がありましたが、
今回は、FUUの試合もあり、参加できなかったのです。
きっと、すべてを終えられて、ほっとされたのでしょうか。

悲しい気持ちでいっぱいなのですが、もう帰ってこられません。
いつか、同僚と一緒にお墓参りに行くことにし、自宅で、お祈りを
しました。

恩師との別れがこんなに悲しいものとは思いませんでした。
ご冥福をお祈りいたします。思い出の意味もこめて、
書いておこうと思いました。

直接お会いできたのは、このときが最後でした。
2009年京都

たま母はもう1人、お世話になった大好きな名誉監督がいて、
その方(恩年80歳を超えています。。。)から、お手紙をいただいたのが
きっかけで、強行日程で会いにいったのです。今思えばこれが
今回亡くなった監督にお会いできた最後でした。(監督は享年65歳でした。。)
by kazehanatuki | 2011-12-13 00:47 | off time