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二重保育で3人の子育てを乗り切る母のつぶやき日記。Twitter:fuukagetsu


by kazehanatuki
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今年もよろしくお願いします。

そうとう、放置してしまいました。。いろいろありまして。

2011年3月に、義父が長く住んでいた
広島の実家を離れ、義妹家族が住む松山に
シニアマンションを借りて移り住みました。

折りしも、たま父がその引越しのため、3月に広島・松山に
行っているときに東日本大震災が起きたので、よく覚えて
います。

義父は病気が年明けに発覚していましたが、年齢や
体力のこともあり、緩和ケアを選択し、病院に近い
シニアマンション(介護つき)に入りました。

休みの度に、たま父は帰っていましたが、家族で
行ったのは、夏休み。義父も交えて、食事をしたり
3日間ほど、一緒に過ごせました。

おそらく秋くらいから、普通の生活が難しく
なると聞いていましたが、やはり病状が進み、11月
には病院に入院しました。



入院しても緩和ケアなので、自由で病院も
とてもきれいな個室で 過ごせていたようです。

ただ、脳に転移してしまったため、怒りやすく
反対に痛みは感じていないのが幸いでした。

年末に近づくにつれて、症状が進んでいると
連絡を受け、29日まで仕事をし、家族5人で
車で夜松山まで行きました。

たま父と、たま母は交互に運転で、夜通し行ったので
子供たちは後ろの席をフラットにして、おなかに
シートベルトをし、睡眠しながら行きました。

朝にはついて、病院に隣接する、家族用のマンションに
チェックイン。本当にすばらしい施設でした。
30日の朝、義父の面会に行くと、すでに息が苦しそう
でしたが、私たちが来たのははっきりわかって
くれました。

子供たちにも声にはならなかったですが
しっかり声をかけてくれ、その日は子供たちを食事に
つれて行ったりし、就寝。義妹の子供(高校生のお姉さん)が
TSUKIもHANAも大好きで、面倒を見てもらいました。

ところが、31日の朝、義父の容態が悪いと、連絡が
あり、たま父と義妹は病室へ。子供たちに昼を食べさせ
病室に見舞いに行こうとしたら。。。お昼にちょうど
自分の子供に見守られながら永眠しました。

私も、覚悟はしていましたが、このタイミングで
亡くなるとは思っていなかったので、家族みんなが
ショックでした。

本当に幸いなのは、いつも1人の義父が、家族がみんな
集まったときに、最期のお別れできたこと。
それから、義父を広島に搬送してもらい、我々も
フェリーで、広島の実家に向かいました。

慌しく年末、年が明け、3日がお通夜、4日が告別式と
こなして、たま父を残し、たま母が1人で、告別式が終わった
午後5時から、広島を出発し、高速に乗って、藤沢に
帰ってきました。

運転が1人だったのと、途中雪がふぶくなかの運転で
子供たちはまた、寝ていたのですが、非常に疲れました。
無事に自宅に着くと、すぐに寝てしまい、本来4日から
仕事だったので、朝仕事の電話をし、また寝ました。

6日から子供たちはそれぞれの生活がスタートし、
たま母も出社。10日にたま父が帰ってくるまでが、とても
忙しくて、ぐったりでした。

こんな年末を過ごしてましたので、先週の会社の行事が
終わるまで、睡眠不足との戦いで、今週末だけ、やっと
ほっとしています。

人生には別れはつきものですが、いろいろと考えさせ
られる日々でした。
by kazehanatuki | 2012-01-22 23:17 | off time